【プロフィール】レール的な生き方に疲れ果てたおじさんが、新米ブロガーとして再出発する話

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「パパのお仕事って何してるの??」

4歳の息子に言われたこの一言が、僕のブログライフの始まりでした…。

初めまして、2020年4月デビュー、新米ブロガー「ゆーと」と申します。

名前 ゆーと
属性 新米ブロガー
趣味 ・子どもと遊ぶ(近所の子でもOK!)
・ラグビー観戦(国内海外問わず!)
年齢 30代前半
性別 男性
生活圏 東京都&神奈川県
家族 妻と子ども3人(4人目欲しい…)
話のタネ ・四国遍路結願
・うつで休職3回経験
・長男が筋金入りの子鉄

まずは、当サイト(ディレイラーズ)にお越しいただき、誠にありがとうございます。

現在は大手Sier企業に勤務する傍ら、いわゆるレール的な生き方」に限界を感じ、脱サラ独立を目指して活動中です。

・・・嘘のような話ですが、僕は親にも家族にも友人にも、自分の仕事の詳細を語ったことがありません。

パパは何のお仕事をしてるの?という息子の質問でさえも、はぐらかすことに精一杯で、全く答えられませんでした。

「このままじゃまずい…」

それが僕の実感でした。そして同時にこうも思いました。

「堂々と胸を張って子供たちに仕事を語りたい。子供たちが自慢できる人間でありたい。変わりたい。このまま会社にしがみつきたくない…。」

これが僕が慣れ親しんだものを手放す覚悟を決めた瞬間であり、同時にブログを始めたきっかけでもあります。

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小学校時代:”良い進学校”入れば、それでOK

”カンニング”で手に入れた志望校への切符

小学校は、優等生」と呼ばれることに全力を注いだ6年間でした。

担任の先生がとにかく厳しくて、女王の教室そのものでした。

とにかく先生の機嫌を損ねないように顔色を窺い、アンテナを張り、状況によっては友達を裏切り、売るような行為もしました。

地元の公立中学は評判が悪く、僕はいわゆるお受験組(中学受験する世帯)でした。

エリートサラリーマンの父からはいつも言い聞かせられていました。

「学校はストレス発散のために使え。嫌なことは一切やらなくていい。何なら行かなくてもいい。受験に成功すればそれでいい」

プレッシャーに耐えかねた僕は、受験当日、禁断のカンニングにまで手を染め、見事に第一志望である有名私立進学校に合格したのでした。

後々うつを発症することになりますが、思えば、この頃から、僕の生きづらさは始まっていた気がします。

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中学高校時代:”良い大学”入れば、それでOK

レールにしがみついただけの青春期

入った学校は中高一貫の男子校。みんなそれぞれが良い大学に入るために、入学してきたような生徒ばかりでした。

生活の全てが「大学受験」に照準を合わせているため、全ての判断基準は「勉強できるかどうか」の世界です。

勉強さえしていれば、多少道徳的に許されない言動があっても、大目に見られる風潮がありました。

僕自身もそんな風潮に身を任せ、「大学受験、きちっと成功させればいいんでしょ」と開き直っていました。

授業はしっかり受けるけど、部活は汗を適度にかくぐらいの緊張感で水泳とラグビーを嗜む程度。負けて悔しいと思ったことなんて一度もありません。

放課後や休日は当時付き合っていた彼女に時間を割きました。

趣味といえばゲームぐらい。家族が寝静まった深夜のリビングで毎日のように徹夜でやっていました。

そんな生活を中学高校とぶっ続けで6年間続けました。そして気付けば、勉強のできない生徒になっていました。

センター試験の数日前、とにかく焦っていた僕は逃げ道欲しさに、「仮面浪人でもしようかな」と父につぶやきました。

父は「勉強してないお前が悪い、たられば言うな」と激怒。100万円の入った通帳を持たされ、家を追い出されました(結局、土下座して、受験が終わるまでという条件で家に戻りました)。

受験の結果は散々でしたが、某私立大学にだけ、何とか合格することができました。そこは兄も姉も通う大学で、父親的には”良い大学”の部類でした。

「いい学校、いい会社、いい人生」のレールになんとか残れた…とにかく安堵の気持ちでいっぱいでした。

大学時代:”良い会社”就職すれば、それでOK

偽りの自分が勝ち取った大手企業への内定

大学生活に慣れるまで、半年近くかかりました。なかなか友達ができず、コミュ障の男子校上がり特有の辛い日々でした。

大学では、汗をかく程度の弱小ラグビーサークルに入り、そこに入り浸りました。

大学でも、受験で痛い目にあったことなど完全に忘れて、「一生安泰な大企業に就職すればいいんでしょ」と開き直っていました。

授業なんてもちろん出ませんでした。試験直前に見ず知らずの人にノート借りたり、身内の不幸を理由にして出席日数稼いだり、体育会ラグビー部のフリして教授に懇願したり、単位はとにかくあらゆる手を使って稼ぎました。

留年はしましたが、付き合っていた彼女(今の妻)の協力もあって、何とか卒業できる目処が立つぐらいまでは漕ぎ着けることができました。

当時の僕は、常に「自分の山場は就活なんだ」と自分に言い聞かせていました。

良い会社に就職できれば、中学受験のカンニングも大学受験の失敗も全てを帳消し、失った親からの信頼だって取り戻せる、本気でそう信じていました。

そのため、就活で話のタネになるような話は、積極的に取り組みました。四国遍路はその代表例です。

就活が始まってからは、超本気モードでした。全てを企業に合わせて研究し、対策して臨みました。

そして、見事、大手企業から内定を勝ち得ることができました。

しかし、もはやそこに「自分」はいませんでした。嘘に塗り固められたもう一人の自分の功績でしかないのです。

社会人時代:突然空っぽに…うつとの出会い

気付けば心の中は空っぽに

僕が就職したのは、大手Sier企業でした。就職したい企業ランキングにも上位にちょこちょこ顔を出すような、いわゆるホワイト企業です。

(今の時代の流れはさておき、)これで一生安泰だ、そう思えるような会社でした。

しかし、念願の大企業就職だったはずなのに、僕の心は全くと言っていいほど、嬉しいと感じていませんでした。というか、何も感じていませんでした。

完全に、目標を失った燃え尽き症候群状態だったのです。

突然、心の中がすっからかんになった感覚…。空っぽになってしまった感覚…。

良い会社に就職することだけにフォーカスして生きてきましたが、その代償は大きいものでした。

配属後、それはそれはハードな毎日でした。深夜まで仕事をして、0時から飲み会。帰宅は丑三つ時をすぎることがほとんどでした。

空っぽな心にハードな毎日…そんな日々を続けていくうちに、僕は「ストレスをストレスと感じない術」を覚えていました。言い換えると、「感情を捨てる」ということです。

どんなに辛くても、どんなに嫌でも、どんなに腹が立っても、頭の中でそれはストレスじゃない!と言い聞かせる。次第にポジティブな感情も喪失していました。

そして入社3年目の秋ごろ、抑えてきた感情が爆発しました。

発熱、頭痛、めまい、不眠…身体中が助けてくれとサインを出しました。

これがうつとの出会いでした。

それからは復帰と休職、その繰り返しでした。

休職は計3回、期間は延べ2年半にわたります。

「自分はうつなんだという事実をありのまま受け入れ、その上で、自分の心の叫びと向き合っていく」、目をそらしたくなるような壮絶な日々が続きました。

手放す覚悟:ブログスタート

初めて抱いた”強い危機感”

時は3度目の休職中、ある朝のことでした。

「パパのお仕事って何してるの??」

4歳の息子に無邪気に投げかけられました。

無理もありませんよね。毎日スーツを着て朝から晩まで出かけていたパパが、突然毎日パジャマ姿で家にいて、部屋にこもっているんですから。

実際の仕事はITシステムの営業マンでしたから、世の中を便利にする仕組みを売ってるとか、パソコン一つでみんなを幸せにできる仕事とか、子供騙しでなんでも言えたのでしょうが、、、思わず考え込んでしまったのです。。。

「(パパ、何してるんだろう…)」

この時に抱いた強い危機感は、今でも鮮明に覚えています。

「このままじゃまずい…。」

「堂々と胸を張って、子供たちに仕事を語りたい。子供が自慢できる人間でありたい。」

「自分を変えたい。変わりたい。このまま会社にしがみつきたくない…。」

「もっともっとありのままの自分を表現したい。」

「自分のために、家族のために、時間を使いたい。」

一瞬にして胸に秘めていた様々な想いがあふれ出しました。

どうにか、僕自身や僕の生活そのものを変えられる方法はないものか…

そうしてたどり着いた先が、ブログでした。

僕が特に魅力的に感じたのは「ありのままの自分で社会とつながることができる」という点でした。

言葉を変えると、「僕自身の知識や経験が、誰かの役に立つかもしれない」という期待感です。

僕がITシステムの営業マンとして、動かすお金も社会的な影響力も大きいプロジェクトに携わってきました。

しかし、社内営業に追われ、自分の存在が社会の誰かの役に立てているという実感を持てないでいました。それどころか、営業プロセスをグレーゾーンと感じ、仕事をすればするほど、後ろめたさを抱くようになっていました。

もうそんな生活とはおさらばしたい。ありのままの自分で、誰かの役に立ちたい。

そんな思いが、僕がキーボードを叩く原動力になっています。

このブログで伝えたいこと

誰かの役に立つために、僕自身が実際に見聞きした情報や経験について、ありのまま、さらけ出すこと

そんなブログの開設経緯も踏まえて、僕がブログで大切にしていきたいことです。

レールの上を必死に走って、燃え尽きて、うつと付き合いながらも、懲りずに子ども増やして、またまた体調崩している30歳過ぎのおじさんでも、誰かの役に立てる。

そんなメッセージをこのブログで体現したいと思います。

もちろん、脱サラ目指しますので、その上でPVや収益アップも目指しますよー。

最初に読んでいただきたい記事

プラレール回転寿司の三大デメリットをお菓子で克服!

3人育児中のパパ要素が少なかったので、ぜひご覧ください!

僕は育児に時間と労力は惜しみません!

SNSで話題のプラレール回転寿司ですが、やってみると意外とデメリットが多い…。

そんなデメリットはお菓子を使って一気に解消!

最初から最後まで楽しいパーティー気分を味わえます!

>>>【汚れる・無駄・片付け大変】プラレール回転寿司の三大デメリットをお菓子で克服!

休職初期の罪悪感を乗り越えるたった一つのコツ!

うつで苦しんでいる時を振り返ると、やはり「休職初期の罪悪感」が一番しんどかったなぁと感じます。

同じような境遇の方に、一人で抱え込まないで、と伝えたい。

そんな思いを込めて書きました。

ご家族や職場の同僚など、周囲でうつに苦しんでいる方がいる方にも、ぜひ読んでほしい記事です。

>>>【休職して申し訳ないと感じるあなたへ】休職初期の罪悪感を乗り越えるたった一つのコツ

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レールの上を駆け抜けた10代、激務・うつ・子育てに翻弄された20代、自分と向き合う30代を通じて、得た僕の気付きを少しでも多くの人に届けます!

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コメント

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